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産業技術年表
日本 西村勝三が日本初のメリヤス工場をつくる。1870年には東京で手編みのメリヤスのシャツ・ズボン下が流行しはじめている。
1871年|素材・エネルギー

メリヤスとは、ポルトガル語のメイアシュ(Meias)、スペイン語のメディアス(Medias)という、いずれも英語のストッキング(Stocking)の意味の言語から転化した外来語であるといわれている。

古くから「女利安」、「目利安」、「女利夜須」といった当て字がされた。メリヤスを表すのにもっとも近年まで用いられたのは「莫大小」という文字であったが、これも戦後になって「メリヤス」という片仮名が用いられることになる。メリヤスの名で靴下が日本に伝来したのは、ポルトガル人、スペイン人来航後の16世末ごろであると推定される。また、その手編みの法は、17世紀初頭におけるオランダ来航以後に、オランダ人の手によって伝授されたという説がある。

19世紀半ばの開港以後、日本がもっとも多く輸入したのは衣料品であった。はじめは大半が綿織物であったが、明治維新前後にはメリヤス製品も多く輸入された。1871年(明治4)には陸軍の軍服や、官吏の服装にも洋服が採用されることになり、メリヤス製品への関心が高まっていた。また、一般庶民のあいだでも、和服を着ていてもシャツ、メリヤスの股引、靴下、手袋を身に着けるというような和風に洋風を織り交ぜた身なりが普及していた。このように、明治初期日本では西洋風俗への嗜好が見受けられ、メリヤス製品の需要は次第に増大していった。しかし、手編みによる製作では、その需要を十分に満たすことはできなかった。こうした状況を受けて、1871年メリヤス工場を設立し、機械編みのメリヤス製品を生産することによって、人々の期待にこたえたのが西村勝三であった。

西村勝三は、メリヤス工場設立以前に、武器の販売などいくつかの事業に携わっている。のちに、横浜に貿易商を開いたことがきっかけで、外国商館に頻繁に出入りするようになった。その商館のひとつである亜米利加一番館では、生糸取引商が行われていたが、そのほか、雑貨、機械なども取り扱われていた。その商品のひとつに当時、商館の人間でさえもその用途を知らないミシンのような機械があった。勝三の弟である綾部平四郎は、その機械のカタログを借り受け、翻訳することによって、その機械がメリヤス機械であることを明らかにした。綾部はそのメリヤス機械を購入し、運転方法などを研究し、試行錯誤の末にメリヤスを編むことに成功した。こうして手編みによるものだけでなく、日本で機械編みのメリヤス製品を生産する道が開かれることになったのである。1871年5月に勝三は、東京築地一丁目元仙台屋敷跡に靴工場を開き、その一部を靴下工場にあてた。これが日本における最初のメリヤス工場である。

参考文献
タイトル 著者・編者 発行年
西村勝三翁伝 : 伝記・西村勝三西村翁伝記編纂会編1998年
日本メリヤス産業史センイ・ジヤァナル編1971年
日本メリヤス史 : 全藤本昌義1914年
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▲西村勝三(1836〜1907)[大空社『西村勝三翁伝』より]
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