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産業技術年表
日本 長崎〜東京〜札幌間の電信線網完成。1872年には赤間関海峡に日本初の海底線が施設され、1874年には東京〜青森間と津軽海峡の海底線が竣工。
1875年|通信・情報

1869年、東京〜横浜間で電信(公衆電報)業務が開始され、これによって国内初となる電気通信事業が始まった。

それ以後、官用通信や新聞報道、あるいは相場などの金融商業通信が増加の一途をたどり、通信設備の充実と電信線の拡充とが急務になった。しかし通信設備に関していえば、当時の日本における電信技術は欧米に比べると圧倒的に劣っており、電信機も高額な輸入品に依存せざるをえなかった。そこで明治政府は工部省に製機掛(のちに製機所)を設置し、電信機の国産化を目指していった。そして1879年には10台が製作され、さらに1906年には302台が製作されるまでになった。

電信線の拡充に関しても、明治政府は驚異的なスピードで建設工事を進めていった。政府が工事を急いだ理由としては、短い区間では電信のメリットを十分に享受することができないこと、そして中央集権国家の基盤を確立するためには通信網を整備する必要があったことをあげることができる。こうして1971年8月、新たに創設された工部省はまず東京〜長崎間の電信線の架設に着手した。

このとき現場で指揮にあたったのはイギリス人監督長エドガー・ジョージであった。彼は全区間を6分して着工したのだが、工事は困難を極め、その過程では電柱の転倒や電線の切断などといった民衆の妨害にも遭遇した。そしてついに1872年4月に京都〜大阪間が開通、さらに1873年2月に神戸〜長崎間が開通し、東京〜長崎の全線が結ばれたのである。

また政府は東京〜長崎間の工事が開始された直後から、東京〜青森間の建設に関しても計画していった。この区間に関しても、1874年2月に東京〜宇都宮間が開通、さらに同年7月に宇都宮〜白河間が開通し、最終的に青森までの区間が1875年8月に完成した。すでに青森〜北海道間の海底線に関しては1874年9月までに工事を終了していたので、この段階で札幌から長崎まで全国を縦断する電信線網が完成したのである。さらに1877年になると支線ルートの工事も進められ、電信網が四国・山陰・北陸・奥羽などの各地方を覆うことになった。ちなみに同年の西南戦争では、九州の重要拠点を結ぶ軍用通信が建設されたが、この戦争で官軍が圧勝した背景には電信技術の力があったといわれている(この九州の電信線は、戦争終結にともなって一般公衆用に転用された)。

1869年に東京〜横浜間で電信線が敷設されてからわずか数年ほどで、維新後の混乱のなか、日本国内の電信網は全国規模に張りめぐらされていった。すでに1871年にデンマーク・グレートノーザン電信会社が上海〜長崎〜ウラジオストック間の海底ケーブルを完成させていたので、こうして日本は電信線のネットワークによって世界と結ばれたのである。

参考文献
タイトル 著者・編者 発行年
明治電信電話ものがたり―情報通信社会の《原風景》―松田裕之2001年
現代メディア史佐藤卓己1998年
日本の技術100年 第5巻 通信 放送白根禮吉、和久井孝太郎編1987年
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▲東京木挽町に建てられた電信中央局
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