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北九州ものづくり企業
金属
株式会社 フジコー
会社情報会社沿革技術・製品
貢献人物
1 山本 秀祐
富士工業所創業者
明治39年(1906)〜
 (株)フジコーの創業者・山本秀祐は明治39年(1906)、福岡県宗像郡で生まれました。昭和4年(1929)明治専門学校(現在の九州工業大学)を卒業後、大阪の中山薄鉄板(株)(現在の(株)中山製鋼所)、広島の呉海軍工廠製鋼部、山口の林兼重工業(林兼造船)に就職。この間、4度の召集を経て、戦後は実兄が経営する八幡製鐵所(株)(現在の新日本製鐵(株))の協力会社で、ドラム缶を製造する山本工作所に就職。技術者として、経営者の実弟として多忙を極めました。昭和27年(1952)退社、5日後に富士工業所を創業しました。45歳。独立の選択でした。

 八幡製鐵所との人脈はあっても新規参入は難しく「発明事業なら可能」との助言で鋳型の修理法を独自開発。従来の直接溶接法ではなく間接的に溶接する方法を考案し、かつ強度も出る修理法でした。当時、鋳型は修理不能とされ、破損や亀裂ですぐに廃棄されていました。世界初の修理鋳型の公開実験に成功した山本は事業化に乗り出しました。

 当初、経営的には困難を極めましたが、鋼塊鋳型の需要は高く、毎年各地の製鉄所に事業所を開設するほど業績は順調で、高炉メーカー全社から受注するまでに修理事業は拡大しました。

 その一方、山本は「鋳型修理はいずれ終わる」と予測。仕事量が多く、絶対になくならない圧延ロールへの進出を密かに企て研究を始めました。精密さや強度が鋳型とは比較にならない鋳造ロールの高度溶接技術を学ぶため専門書と格闘。「頭がおかしい」などの声にも耐え2年がかりで耐摩耗性の高い特殊鋳かけ肉盛法開発しました。昭和30年(1955)のことです。

 この技術を次第に進化させ、やがて(株)フジコーの中核事業になりました。鋼塊鋳型は製造法の変化で姿を消したからです。昭和41年(1966)黄綬褒章を受章。「昨日があったから今日がある。今日があるから明日がある」が座右の銘、自分の仕事は自分つくり、他人の仕事に踏み込まない姿勢を貫きました。
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